東西沐浴史話から

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今日は 2021年5月25日です。

◆東西沐浴史話から
 温浴の世界史と日本史をまとめた「東西沐浴史話」という古い本を手に入れました。著者は慶応大学医学部教授の藤浪剛一氏。

昭和19年に発行されたものなので77年前です。旧仮名遣いで旧漢字の上に漢文も出てきて解読に時間がかかるのですが、大変興味深い内容です。

一番感じることは、人類と温浴の関わりは古今東西、それほど変わっていない、たいして進歩もしていないということでしょうか。

湯屋と風呂屋、湯と水と熱気浴と蒸気浴、心身の清めと治療と享楽…人はずっと試行錯誤しながら、結局同じようなところをウロウロしているだけなんだなぁと思うと、あまり成長がないところが少し残念な気もしますが、温浴という営みそのものは決してなくなることがないという安心感もあります。

私が長い温浴コンサルタント人生の中でようやく辿り着いたと思っているような考え方も、本にあっさり書かれていたりします。例えば、

──徳川幕府は専ら諸大名の統御にその政策を置き、庶民福祉の問題にはあまりにも無関心であった。士農工商の階級は依然として社会を律し、権力の前には容易に反抗ができなかった。実力なき弱者は野良犬にも等しい生活をせねばならなかった。徳川多年の政策に攻めつけられた庶民は全く去勢せられた姿となり、公然反抗すべき力も蓋き、聲も嗄れ、呪詛も怨嗟も忘れた。不憫なものは農工商の民であった。
 湯屋営業は都民の喜ぶ所で、常に人の出入りも多かったのは、湯屋には士農工商の階級差別が少なくとも薄かった為めである。湯屋は此制度の治外法権の場所であった。此小天地に於いてだけは、人間悉く裸一貫である。茲には老小の区別はあり男女の差はあっても、貴賤の差はない。上下の階級はない。人間生来のままである。「近辺の若本、勤番の侍衆などは此二階にて遊び」云々とあるように、茲には平等であった。帯刀すれば武士気質となり、角帯前垂懸けとなれば、町人根性となる。馬子も衣裳からの俚諺の如く、人間は衣裳によって、その社会的地位を自覚するが、生まれたままの裸体にありては全く平等であり、眞人間である。地位権勢のあることを忘れて人間の本性に還るのである。湯屋には壓迫もなければ、金力もなければ遠慮もない。湯屋の別天地こそ階級制度の足枷より遁れ得た唯一の場所である。ここには不幸もなければ貧慾もない。──(旧仮名遣い・旧漢字は変更)

これは今ドキの言葉に置き換えれば、「温浴のターゲットの多様性と全方位マーケティング」といった考え方でしょうか。江戸時代の湯屋も現代の温浴施設も、やっていることはあまり変わらないのです。

違いを見つけるもの面白いです。湯屋というのが浴槽に湯を張った公衆浴場で、風呂屋というのはいわゆる蒸し風呂やサウナのことなのですが、

──一般に湯屋が多く風呂屋が少ないが、風呂屋にも種々風呂の構えがあることは、之によりて知られる。風呂屋の湯屋よりも少ないのは、風呂屋は特種の建物を設置せねばならぬし、蒸気の洩れを防ぎ、早く温度の冷えざる工夫を要する為、自然浴室に制限がつき、従って特種な様式となりて、湯屋の如く軽便に多数の人を一時に浴せしむることが出来なくなるのである。然し風呂はよく汗を流し、浴後体温の冷えることも遅い為に、重に病者に喜ばれた傾きがある。後ちには日常の沐浴にも用立ったが、建築・経済の両方面から湯屋に比して普遍的ではなかった。これが湯屋よりも数の少ない原因であって、獨り京都のみでなく、大阪に於いても湯屋は風呂屋よりも四倍も多かった。
 風呂屋は数に於て少い、又多数の浴客を一時に迎え難いが、その構造は湯屋よりも進歩して保温の工夫がしてあるだけ、湯屋は漸次之を学ぶ所となり、風呂の建て方を多分にとり入れ、風呂類似の構造を作った結果、両者の名称が混同したのである──(旧仮名遣い・旧漢字は変更)

現代では、全ての公衆浴場数が約2万件で、サウナイキタイに登録しされているサウナ施設数は約9千件ですから、湯屋と風呂屋という区別で言うとほぼ半々ということになります。昔よりもサウナ施設の割合が増えているということです。

しかし、これから起きるであろう「浴槽からサウナ室へ」というリニューアルのトレンドは、昔の湯屋が風呂屋の技術を取り入れることで両者の呼称が曖昧になっていったという現象と似ています。

結局は「温浴」という大きな営みの中でウロウロと試行錯誤を繰り返しているだけようです。

あらためて歴史を学ぶと、「温浴の未来」とか「新業態」とか鼻息を荒くしていた自分の存在のちっぽけさを痛感します。

著者の藤浪剛一氏の序文に

──今更捨てるも惜しく、他日の拾遺を豫期して、發刊することにした。──

とありますが、このメルマガの役割もそんな感じで、いつか誰かが役に立ててくれることを期待して、21世紀の温浴を記録しておくということなのかも知れません。

(望月)

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