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今日は 2020年6月15日です。
◆曇り空と酒か温浴か
うまくいかないことや嫌なことが続くと、だんだん心が疲れてくる。
いつもそんな時は自転車で海岸を走るのが、自分にとって一番手軽で確実なストレス解消法だ。
しかし昨日は朝からどんよりと曇って到底サイクリングには向かない空模様だったので、昼酒を飲みながらゴロゴロしつつ映画でも観るか、それとも温浴施設に行こうかと、ひとしきり悩んだ末に定点観測も兼ねて近くの日帰り温泉に行くことにした。
その施設は、海沿いにあるお洒落なレストランに併設された小規模日帰り温泉。内風呂は大浴槽ひとつと水風呂、サウナ、そして露天風呂ひとつ。濃い琥珀色でつるすべの天然温泉はなかなかの泉質。機能的には銭湯と大差ないのに入浴料は1,500円と強気の設定ゆえか、いつもあまり混雑せず自由に入れるのでお気に入りの施設のひとつとなっている。
海岸沿いの国道135号線はそこそこ車で混雑していたのに、館内は静かで、入浴客は私の他に1人か2人。いつも入浴客の半分以上は海で遊んだ後の立ち寄り客なので、その客層がまったく来ていないということなのだろう。
おかげさまでサウナはほとんど貸し切り状態。こんなに贅沢に楽しめるんだから1,500円は安いかも、などと考えながら4セット目の水風呂に入っている時に、ひとりの入れ墨客が入ってきた。
背中だけでなく手足まで立派な絵柄が入った強面で体格の良い男だった。
まず洗い場で身体を洗っている。おそらく次はサウナだろう、と思った時に、私の心の中にひとつの興味がわいてきた。入れ墨は発汗を妨げるという説があるが、この全身入れ墨男の発汗はどんなものか観察してみたくなったのだ。
今日は4セットで上がろうかと思っていたのを変更してもう一度サウナ室に入り、わざと迎えロウリュをして体感温度を上げて男を待つ。
しばらくするとまんまと入れ墨男はサウナ室に入ってきた。ベンチ2段、最大収容人数4名程度の小さいサウナだが、男は下段に座った。
ぷっ、そんな立派な絵が入っているのに下段なんですか。下段だとなかなか汗かけませんよ。
そんなことを考えながら男の背中を観察していた。
しばらくすると、「サウナマット交換しま〜す」という若い女性の声がして、マットを抱えたスタッフが入ってきた。
男はやおら立ち上がると、「あ、敷いときますよ!」と言ってスタッフからマットを素早く受け取り、敷いてあるマットをテキパキと片付けはじめた。驚くほど謙虚で親切な態度だ。
仕方なく、私も一緒に上段のタオル交換を手伝うことになった。
女性スタッフは「すいませ〜ん、ありがとうございます」と恐縮しながら、古いマットを抱えて去っていった。
交換作業中のドア開放ですっかりサウナ室の温度はぬるくなってしまい、ロウリュで入れ墨男の発汗を観察する計画は頓挫してしまった。
しかし、そんなことよりも私は入れ墨男がどうしてあんなに腰を低くしていたのかが気になっていた。
入れ墨が入っているのをジロジロ見られたくないから、マット交換作業を引き受けて早くスタッフを追い返したかったのか?
それともスタッフに親切にすることで店長に入れ墨客の入浴を報告されないように牽制したのか?
そういえば、この施設は入れ墨禁止の表示が見あたらないがどうなっているんだろう。
脱衣室に戻って掲示物を見ても、入れ墨に関する表記はない。今まで気にしたことはなかったけど、ここは入れ墨OK施設なんだろうか。
フロントまで戻って、ようやく謎が解けた。
受付から浴室に向かう正面に「ご入浴前の注意事項」があり、その一番最初にこう書いてあったのだ。
──刺青・タトゥーのあるお客様は他のお客様へ威圧感を与えることがある為、特にマナーに注意してください。他のお客様へのご迷惑となった場合退館していただくことがあります。その場合、入浴料の返金はいたしませんのでご了承ください。──
これがあったから、入れ墨男はあれほど謙虚で親切な態度だったのだ。よく練られた、見事なメッセージだと思う。
かつて、入れ墨OKの事例としてご紹介した箱根の天山では、
──いまのところ入れ墨を入れた方はおひとり様の場合に限りお断りはしていません
したがって
複数での入浴は固くお断りします。お独りで、静かにお過ごしください──
と表示している。これも考え方はよく伝わってきた。
いずれにせよ、施設側がしっかりとしたポリシーを持って宣言している。法律や公式な業界ルールが定まっていればいいが、そうでない時は施設側が自分の言葉で考えを語ることが大切。それはお客様にちゃんと伝わるのだ。
そんなことを考えながら施設を出ると、曇り空のようだった自分の心が少し軽くなっていることに気づいた。汗をかいたぶん軽くなるのは身体だけでなく心も同じなのだろうか。
ともかく、酒に逃げるよりも温浴施設を選んだのはやはり正解だったようだ。
(望月)